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「G-HOUSE」の中庭です。

大きなアオタモの樹
踏み石、砂利敷き
そして木製格子

住宅や建築には、人の感覚、息使い、自然が感じられるものが必要だと、つくづく思うようになりました。

人間臭さや野生的な部分というものでしょうか。

G-HOUSEのお施主から中庭について、「全部土を残して欲しい」といわれました。
なぜかと聞くと、「言葉では言い表せないのだけど、土の感じを残したい」って。
中国の田舎町の素朴な道の写真を取り出しこんな感じにしたいと教えてくれました。
正直言えば、玄関が汚れるし、雨が降るとぐちゃぐちゃになってしまうので困ったなと
思ったのですが、施主の感覚に共感している自分がいて、コンクリートで固めれば簡単だけど
土を残すという感覚はとっても大切なことかもしれないと思った経緯があります。
踏み石と踏み石の間には、雑草が生えるように少し土を入れ、その上に砂利をまきました。

先日、秋葉原で起こった殺人事件はとても衝撃的でした。
無差別に人を殺した彼の背景には、情報の氾濫、コミュニティーの欠如、
想像力の欠如、があるように思われました。
こんな事件が起きてしまったのは、社会全体の問題でもあるように思います。
こんな怖い人がいるから気をつけよう、だけでは、すまされない時代がきていると思うのです。
マザーテレサが愛情の反対は憎しみではなく無関心である、と言いました。
まさに日本全体が人のことには無関心といった風潮になっているような気がします。

「誰か止めてくれればよかったのに・・・」と言って、殺人を犯した彼は非難をを浴びていますが、
非難する前に(いや、後でしたが)考えてみました。
彼の住んでいた家やマンションには、孤独感を和らげるような設計や工夫がされていたのか。
職場の空間は、自然や人間の息遣いが感じられるような設計はされていたのか。
彼が秋葉原までいく道の途中、人間の優しさを感じるような場所はあったのか。

答えはNO。

彼を取り巻く「場所」について考えただけでも、本当の意味での優しさは感じられない。
「誰か止めてくれればよかったのに・・・」という言葉には社会全体への悲願のように思えてなりません。

実はこういう無関心さの集まりで社会は固まりつつあるように思えてならないのです。
一見、会った事も話したこともない私達が彼の殺意を消し去ることはできないと思えますが、
実は間接的に彼を止めさせることができたのではでないかと思えるのです。
この事件は殺人だったから大きく取り上げられていますが、日本の自殺者数からもわかるように同じように病んでいる人はものすごく多くいるのだと思う。
地球温暖化の問題だって同じ事。

例をあげると、少し遠回りしても人間情緒ある細い路地を通りたくなるのと同じで
使いやすさや利便性だけが大切なのではない。子供の頃の感覚を忘れてしまっているだけで、きっと誰もがそのことを感覚的にわかっている。
もっともっと人間臭さのある都市づくりが必要だし、人の息遣いが感じられるデザインが必要だと思う。人は人に支えられて生きている。それは直接的でなくても間接的に支えることも含まれる。

ひとつの住宅をつくるためには、一年以上の歳月をかけてつくるものだから、
私の限られた人生の中で、どんなにがんばっても関われる軒数を数字にすれば、たかがしれている。
でも同じような思いでつくる建築家が増えれば街や社会が変わっていくと信じている。

がんばっても、がんばっても、未熟で嫌になることも多いのですが、
愛情を込めて設計することは絶対に大切だということを忘れたくない。

想いはデザインに宿ると信じて。
by noanoa_labo | 2008-06-14 02:10 | G-house | Comments(2)

わざとやってるでしょ。


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通勤途中で見つけたねこ。

路地を通って通勤していますが、朝からこんなかわいいのがいると力が抜けちゃうよ。ホント

といいながらも、今日も一日、大変だったな~、よくがんばったな~と

あまりにも脳内疲労が激しいので、おばかな一枚をアップしました。

ねこ好きにはたまりませんな。
by noanoa_labo | 2008-06-03 22:16 | noanoa あれこれ | Comments(0)